芝高山岳部が、冬の焼峰山で遭難事故を起こして平成19年12月30日で丁度半世紀となります。 当時としては、高校生の冬山登山は非常に珍しいことでした。しかも、極地法(ポーラーシステム) と言う登山方法で、赤津山(1,408m)の登頂を計画したものでした。 近代登山の幕開けの時代で、各大学でも盛んにこの登山方法を研究して取り入れた時代でした。

 


 

 




昭和32年12月31日

赤谷村営火葬場の看板があった

焼峰山頂C1から北股岳を望む


昭和32年12月28日、比較的穏やかな日でした。
サポート隊が焼峰山頂にC1を建設して、アタック隊 を待つ。
アタック隊・・・渋谷亘・熊谷克二
小林勇二郎・本田修蔵(OB)
サポート隊・・・国枝隆一郎・八幡 紀・六井 潔
中西昭二(OB)

 


 

遭難事故を契機に、当時の現役と諸先輩がまとまり、翌年、昭和33年8月10日には、地元滝谷集落の人々 をはじめ関係者各位のご協力によりまして、故本田修蔵さんを偲び「修蔵峰」に追悼碑を建立したものです。滝谷集落のご好意によりまして、追悼碑の場所・位置などを決めさせて頂きました。そして、その場所を「修蔵峰」と命名したものです。(標高は約985mです)五十年前の写真です!・・・よくご覧ください。

 

碑に向かって右端・杉浦(ゾッチャマ)先生


昭和33年8月10日 本田家のご親族の人々

 

 

一番苦労したのは、碑の移動作業でした

碑を建立して二十五年もの歳月が経過した為に、昭和58年8月には、追悼碑が東南側(氏ノ澤側)に傾いたり、若干移動した為に修復工事をする事にいたしました。修蔵峰の厳冬期は、想像を 超える北西の季節風が強くて、氏ノ澤側に強大な雪庇が発達して碑を動かしたのです。
  当時の参加者は、比較的若くて40代の人達が中心になり修復工事を行ったものです。修復資材の荷上げもあまり問題なく立派に完成いたしました。

 

碑文は当時のものを現在も使っている


立派に修復した姿
 

 

 

 

 基本的には、建立から半世紀と長い時間の経過と、激しい風雪にさらされてセメントにひびが入り、碑そのものの傷みが激しい為に、今回は全面的な改修を考えました。われわれも還暦を過ぎた年齢になり、体力的にも今年が限界ではないかとの考え方が支配的でありました。今年二月頃から話があり企画・計画を立てたものであります。今回の事業で一番の難問は、何んと言っても800キログラムの碑改修に伴う建設資材の荷上げでした。
太田さん(昭和33年卒)
老骨にムチをうちながら頑張った
  浦澤さん(昭和37年卒)
約30kgの重い荷物で頑張る

平成19年7月1日作業が終わり記念撮影



課題であった荷上げにつきましては、OBの中に下越山岳会前会長の高橋正英さん(昭和28年卒)が在籍されており、また、豊栄山岳会の会長を経験された丸山高司さん(昭和30年卒)がおられた為に、両山岳会のご協力によりまして、難問の荷上げは予定よりも大幅に早く荷上げ作業が完了いたしました。ここに厚く御礼を申し上げます。
現場監督の磯岡道雄さん(昭和26年卒業)
 

 

 

当初の追悼碑改修計画では、平成19年秋頃を予定していました。しかし、皆様方のご協力によりまして本年7月8日に完成をいたしました。現地にて大勢の関係者で竣工式を行いました。そして、当日は本田家からは、実弟の本田邦雄氏にも現地まで登って頂き当時を偲びました。

 中山成二氏(昭和38年卒・長善寺住職)からも現地まで登って頂きました。そして、確実に半世紀の時間が過ぎ去った当日、静かなる天空の頂きに稜線へと湧き上がるガスのなか・・・・最高の雰囲気で・・・・・中山住職の読経がながれ、参加者一同めいめいの思いを胸に、線香をあげて拝礼を行い無事に竣工式が終わりました。

 

 

線香をあげて拝礼する本田氏

             工事完了後の記念撮影

 


 昨年7月8日、兄、修蔵の遭難追悼碑の再建竣工式に出席させて頂きましたが、突然の再建話に驚きと感激
で胸中が熱くなりました。没後五十年目にして再建された碑は、表面が上向きのモダンな形に変わり、五十年
目に相応しい立派なものでした。何年振りかで見る兄の碑、思わず兄の追憶に胸が熱くなりました。同時に
この再建作業に苦労をいとわずに携わってくださった方々にたいして「本当に有難うございました」と感謝の
言葉しかありません。

本田さんと丸山高司さん

素晴らしい先輩、後輩に恵まれ、家族以上に深い友情の絆にきっと感激しているに違いありません。兄は果報者です。追悼碑再建の想いを成し遂げられました「かいらぎ山岳会」及び「豊栄山岳会」をはじめ、ご協力くだされた多くの方々に心から敬意を表します。「天空の追悼碑」は、山を愛する同士の変わらぬ友情の証としていつまでも皆様の心に刻まれることと思います。
皆様のご苦労に対して格別な報いも出来ませんでしたが、私達家族一同は、皆さん方の善意に衷心より感謝いたしております。終わりに際し、皆様の末永いご健康とご多幸をご祈念申し上げます。


 






 
 
 
杉浦吉弘さん  昭和30年卒業
 
  この記録写真集は、昭和32年の遭難事故を起こしたことから、当時の現役部員とOB会が一致協力して、故本田修蔵君の遭難追悼碑を建立したものであります。幸いにして、杉浦吉弘さん(昭和30年卒業)が武蔵工業大学建築科に在籍していたので、杉浦さんを中心に建設に関する企画設計・工事計画を進めました。翌年8月には見事に遭難追悼碑が完成したものであります。また、昭和58年8月には一度修復工事を行っています。そして、平成19年には大々的な改修工事を行いました。その時の記録写真をまとめてこのページを作成いたしました。

 

平成17年 秋

9月26日

焼峰山に登り追悼碑脇のモルタル製休石(創建時余ったモルタルで作成)に腰を下ろし、東の蒜場山・北の二王子岳・西の金鉢五頭連峰の昔と変わらない姿を眺め終わり、脇の碑に目を移すと昭和33年建設された表面は無数に亀裂が走り、そこから浸みだした石灰質のダレ、頭部に生じた亀裂は天盤部分の浮きをハッキリ示している遭難の翌年夏に現役と卒業生 = 皆まだ若く青春真っ直中、実行力が有りました 一致協力して約一ヶ月(7/13~8/10)正味山に入ったのは8日間追悼碑の建設に当たり、お盆前に除幕式終了創建時の碑の形は、鉄筋コンクリートを芯とし外側に仮枠を組み中へ白モルタルを流し込み覆被せる設計でした
   碑のサイズは、部報焼峰13号(遭難特集号ー高校山岳部・かいらぎ山岳会共同発行)によれば
    碑本体 高-2尺1寸 横-2尺9寸 奥行-1尺の台形
    石盤 正面 竪-1尺1寸 横-1尺5寸 重量12貫(45㎏)
         裏面 竪-1尺1寸 横-  6寸 重量 3貫(11㎏)  当時は尺貫法表示の時代でした

11月26日

来春準備のため壁面モルタルの浮き具合確認のため、ハンマーとピックで一部ハツリ落としてみる案外簡単に出来た来年のピッチは順調に進みそうだ。
正面に納めて間もない奉納文をみる、現在も遭難の体験が語り継がれているのを知る

平成18年 春


6月2日
春が来た、碑は昨年と変わらない表情で迎えてくれる。

ハンマーとタガネで本格的にハツリ作業に取りかかる、壁面モルタルは下地のコンクリートから浮いているため作業がはかどるハツリ取ったモルタル屑は集めて袋に入れ、その日の作業終了後梱包するシートの端の押さえとした。 
 その日の作業終了後に掛けるブルーシートで辺りが明るくなり環境に優しく見えた正面にOB会が作業を行っていることを示す看板を取り付けた。

 

ハツリ作業は順調に進む、毎回作業終了後ブルーシートで包む碑の形も小さくなり、わきが寂しくなる

 

改修の考え方は、建設時のモルタル(厚さ2寸=6㎝)をハツリ取り、そこに新たに白モルタルで包み直す計画でした モルタルの打ち直しは地中7㎝までハツリ取‚その上に行う計画でしたが、地面近くから地中に掛けての壁面モルタルは下地コンクリートに密着しハツリ作業がなかなか進まない、碑周辺掘り下げで生じた砂礫を入れた袋だけが増えた


11月9日

 越冬用に養生(冬囲を行う?)をする、取り外した石盤を麻袋に入れ既存のコンクリートに沿わせて春の融雪時に四散しないようにした、また雪の重みでブルーシトが裂けないよう、コンクリート上部角に新聞紙等でパット養生を施してからシートを二重にして包み最後にブルーシートの端はハツリ屑や砂礫を入れた袋で押さえ、冬の強風に耐えて春を待つことにした


平成19年 春

2月24日
改修方法は当初考えられた既設の壁面モルタルをハツリ落とし、新たに白モルタルを打ち直すことは地面付近のモルタル撤去が労多くして時間的に不可能と思われることを伝え、検討の結果改修方法は現在のような形になりました
改修方法は現在の塔頂部33㎝をカットし外側全体を厚さ8㎝の白モルタルで包む計画に決まりました



4月14日

改修実施相談会開催
開催に先立ち連絡文を北は北海道から南は九州まで住所の解る全会員に発送した

発送総数150通 (内返送住所不明12通・没6通)
【資料・・・相談会開催案内文】
      碑の現況写真
      碑の改修案
      改修工事工程表

連絡文で約束しました改修工事の節目節目における進行状況報告を絵葉書で行う件は6号まで発行、特に3~6号に掛けては改修作業のピッチが上がりハガキ発行作業が追われるという嬉しい悲鳴を上げました




4月28日
林道終点にかわいい建設資材集積 所が開設いたしました
4月30日
   修蔵峰に初荷を上げるケイ砂を8袋=40㎏ ハツリ作業終了し碑を包む時初荷のケイ砂袋と内ノ倉斜面より取った雪を入 れたビニール製の大袋(モルタル練り時の水確保試験のため)も一緒に入れる
5月1日
三和車体倉庫で荷上用建設資材の袋詰め
ケイ砂・白セメント共各5㎏/袋
袋 =厚手のビニールを二重に使用

5月2日
連休中の峰への荷上げを期待してケイ砂28袋を集積所に搬入した、はみ出した袋は後ろに積み上げブルーシイトで覆い紐を掛ける

  荷上参加人名簿を置いて荷上資材数量と日付氏名を記入願い、荷上げされた資材を確認した

5月5日

碑は大型ハンマーによる本格的ハツリ作業を進めた結果、作業後のブルーシートで包まれた姿は高さを感じさせない物となった修蔵峰にもケイ砂集積場所を設け、荷上げ協力戴いた方々に感謝の意を表す看板を付けた

5月12日 三和車体倉庫まえでブロックの作成
ブロックの重さは 5㎏/個 おおきさは 竪・横・高=15㎝・15㎝・12㎝とし亀裂防止に化学繊維補強材入りとした、固練りのため練り方は交代を繰り返した

 

5月13日
追悼碑は大改修となりコンクリート上部をハツリ落とす作業に入るハツリ落としは木製定規の下に張った糸に触れる部分までとする

5月26日
登山口に資材置場案内板設置会員以外の協力者から資材置場不明との情報が入り急遽取り設けた

 

6月10日
最後の荷上げ
練り桶・シャベルを背に林道終点集積所を出発する荷上隊の一行、修蔵峰付近一帯は白セメント・ケイ砂・ブロックを入れたビニール袋と仮枠やモルタル練り道具で足の踏み場もない混雑です

7月1日
モルタル打ち込み作業
モルタル練りは下界での経験を生かし、水を加えてからも十分に練り亀裂防止材を投入してからも十分練る、練り桶を2つ使い交代で作業を進めた


7月8日
山上での最後の作業
仮枠解体とモルタル表面の仕上げのあと、午後には竣工式へと続きます

仮枠解体後表面研磨中


石盤清掃中 

午前の作業終わり一服中


石盤を水平近くにセットしたため太陽光の
陰が出にくく、彫り込んだ文面が読みにくい
白ペンキでを塗り見やすくする改善作業中

9月9日
 竣工年月記入石盤の埋め込み、当初は竣工年月記入石盤の埋込計画はなかったがモルタル打ち込み時仮枠と既設のコンクリト上にセットした石盤との間に偏りが生じた会長よりの話で、竣工銘板はあるのかとの問いもあり、急遽太田(昭33卒)さんの提案でモルタル表面に木片を埋め、これに合わせて銘板を発注し、出来上がった時点で木片を外しモルタルで固定した。


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